
留まりの浜の話
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マングローヴの苗木には、3つの種類があるらしい。軽いもの、少し重いもの、重いもの。重さの違いは、その苗木がどこまで流れていけるかを決めている。親の樹のすぐそばに根付くのか、しばらく流れたところに芽を出すのか、とても遠くに流れて行くのか、生まれたときから決まっているのだ。マングローヴ、人間の手。流れに身をまかせ、どんどん遠くまで流れてきた手。根をはり、そこに留まる人の手。
* この樹には菌がいて、藍を早く発酵させるそうです。昭子さんはなぜこの樹の下に瓶を置くと早く発酵するのかを最近知ったそう。
こうして自然に身につけている暮らしの技術を、外から来た研究者の視点でもう一度確認するそうです。
石垣昭子さんの手から織り出される布に、私は東京で出会った。芭蕉の布を、島で採れる芋や葉で染める。それをあの透明な海で晒す。潮の満ち引きのリズムが、すすぎを繰り返す洗濯機の役目を果たす。布を固定する両端にはマングローヴの樹が聳え、海の底に根をはっている。染料を定着させるための塩分濃度は、海と河口から水どうしの出会う汽水域、そこにしかない。
名前の分からない様々な色。その組み合わせはハッとするものばかり、どんな店のショーウインドウも提案できないようなパターンが並び、その全てが島でとれる色なのだという。風が吹いたら素敵だろうなあと考えながら、一枚一枚眺めていると、ある緑と黄色の麻布のまん中に黄金虫がいた。「干しているときまって保護色の布を選んで、こうやって飛んでくるのよ。」昭子さんの言葉からだと、簡単にその景色を想像できるから不思議だ。
昔は何処の島にも「布晒し浜」とよばれるものがあったという。その浜がコンクリートで固められたり大規模な排水が行なわれたりすれば、浜は自然のリズムを失い、晒しをすることができなくなってしまう。実は、西表も例外ではない。ユニマット不動産による1000人規模のリゾート開発が進行している。ゴミ処理場のない人口2000人の島に1000人の観光客というだけでも驚きだが、その場所は、島の根幹を担う浦内川の河口に位置している。トゥドゥマリ浜(月が浜)と呼ばれる砂浜で、古くから島の人の間で「聖なる場所」とされてきた。ウミガメの産卵場所であり、イリオモテヤマネコの回廊。開発によって、彼ら生物の暮らしや島のエネルギーの循環のバランスが崩れることは、誰でも容易に想像できる。西表の未来を創る会
布を鮮やかな色に染め、あの虫を緑にする場所は、ここにしかない。なのにそこに流れる生命の時間に、どうしてどこにでもあるよな産業的時間を押し付けるんだろう。
昭子さんの夫、石垣金星さんはこの島を代表する文化伝承者。沖縄返還の直後、働いていた那覇から西表に戻った。島外資本が島の土地を買い占めることを、黙ってみていられなかったのだという。コミュニティーの中で物事が循環していかなければ、小さな経済圏は脆いものになってしまう。しばらく続けた中学の教師をやめ、若い人たちが島で仕事ができるようにと仲間と共に活動を始めた。伝統的な農業や、織と染めなどの伝統工芸の復興だ。完全無農薬の稲作を始めとする有機農園の名前はピラチカ(=ナマケモノという意味)農場。
次々におこるリゾート開発に対して反対運動を続けながら探した、リゾートとは違うスタイル。その答えの一つとして、金星さんたちは20年前にエコツーリズム協会をつくった。伝統的な農業を基盤にしながら、自然と文化、歴史、伝統を島の住民自体が伝えてゆくという試みの始まりだ。
集落が背にする山には、それぞれの縄張りがあり猪刈りの技が継承されている。よい山の水が、おいしい米を育て、川へと、そしてサンゴ礁の海の幸へとつながる。海にはマングローヴを植林し、集落では茅葺き屋根の住居を復元の頭領を勤めた。移住者の多い集落には一緒に新しい「祭り」をつくってプレゼント。全ては共に生きるため、留まるための技術。島での暮らしが宝であるからこそ観光が成り立つというわけだ。
浦内川はそのエコツーリズムの中心でもある。南西諸島で最も長い河川。河口近くのマングローヴの面積は100ha。多くの貴重種がここを棲処にし、西表の中でも特に生物多様性の高い地域だ。上流には神様の遊ぶと言われるカンピレイの滝。
そして地図を見渡してみれば分かるのは、この場所が島全体の水の循環をになう、いわば西表の動脈のような川であること。
浦内川を案内してくれるのは平良さん、流域のマングローヴ林の奥地、稲場という集落の出身だ。しかし、その稲原は今はもうない。国が浜近くの水田を奨励し新しく集落ができると、人々は電線が入りテレビが見られる場所へと移り、稲場は廃村になった。最後に集落を後にした平良さんは、育ったこの川の流域を守ることで稼げる仕事はないかと考え、後に浦内川観光というエコツアーの会社をおこした。
猪の罠や椰子カニの食べ方、昔の暮らしを説明しながら語る夢は、この稲場に無農薬栽培の田んぼを復元したいということ。イリオモテヤマネコは、人々の耕す田んぼがあったから、そのあぜ道で補食ができ絶滅せずにすんだ。田んぼを蘇らせ、その周りにあつまる虫を、それを食べる小動物を、そして食物連鎖の頂点にいるヤマネコをもう一度呼び戻したい、それができるというのだ。そして平良さんもここに戻ってくる。彼のツアーには、自然と暮らしだけじゃなく、過去と未来が混ざっている。
昔の家の庭には何種類かの果樹が植わっていて。サラダ用のガヴァやシークウァーサーをかじりながら歩く。カヤックを降りてマングローブの林を案内すると、林の位置をマークしておくそうだ。人がその近くを歩くことでデリケートなヒルギの根に負担がかかる。マークはその後2週間は同じ林に入らないように間をあけるためだそうで、昔の人の知恵から学んだことだという。どこでもずかずかと進む私は、マングローヴに近づき過ぎて注意を受けた。自分が樹の近くをただ歩いていることがそんなにも負荷をかけているという、その感覚を持ち帰る。自然との間の取り方を測る感覚。
川下りの途中、カヤックには水筒を積み、お弁当のときもシエラカップをつかっている。もうすぐお弁当箱も再利用になるらしい。
浦内川を大事に思う人は平良さんや地元の方々だけではない。この川に魅せられた人たちが集って、流域研究会が発足している。トゥドゥマリの浜にしかいない貝の話、貴重種の魚の話。集落に伝わる祭の話し。研究者の人たちが発表するようすは、みんなやけに楽しそうだ。
ある夜、トゥドゥマリの浜でまつりをした。それは、一年に一度そこで祭りをすることの許される満月の日。昼間見た珍しいチョウチョの羽の裏のように空一面に星が出ていた。美しい海岸を舞台に繰り広げられる三線、唄や踊り、料理、衣装。この祭りがずっと続けばいいのに。そう思った。
島の人たちのお祈りの言葉
ムリムリ ヌ ヤマメーマ (森に住むセマルハコガメが)
ウブトゥ ウリ カミ ナルケ (海に下りて海がめになるまで)
バガケラヌ イヌチ シマ トゥ (我々の命も西表島と共に)
トゥミ アラショーリ (いついつまでもありますように 神様)
私はこの島が宝物だと思った。だからいいたいのは、リゾートだとかいうけれど、本物の快楽はそこにはない。
海と山につながった命のあいだにこそ、あるものだ。
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昭子さんの工房で作った巾着袋に、金星さんのつくったコーヒー。
最初の巾着づくりは下町浅草橋の帽子屋さんが協力してくださいました。
今は昭子さんの工房で若い人たちの織る西表スタイルの巾着です。